歴史 [GESCHICHTE] 町の名前が語るように,バーデン・バーデンは温泉と結び付いている。西暦70年頃にローマ人が痛風に悩む患者用(多くはローマ戦士)の2つの湯治場を作ったのが始まり。その後,3世紀に西ゲルマン民族の一族であるアレマン人が征服し,この地帯を破壊した。そのローマ人の湯治場の廃虚は現在も残っている。
12世紀頃から温泉文化の発展が始まり,19世紀にバーデン・バーデンはヨーロッパ最高の避暑地という名声を得て,華麗な最盛期を迎える。しかしこの地位も,フランス革命とコレラの猛威なしには得られなかったものである。ギロチンを逃れて国外に脱出したフランスの貴族達が偶然ここに立ち寄り,長く留まったのである。その頃はまだ素朴な農民や職人が住んでいるだけの村だったが,環境の良さやフランスへの近さなど好条件が気に入られたらしい。さらに,1830年にパリを襲ったコレラを逃れて,フランスの貴族は再びこの地に住みついた。 森の空気,およびミネラル分を含んだ水や温泉は伝染病の予防によく効くといわれる。 1838年にカジノの開業,1858年に初めて競馬が開催。それらを機にバーデン・バーデンは最盛期を迎える。 戦後はフランス軍がドイツ再統一まで駐留。永い遍歴の中で築き上げられたフランスとの調和を通して,あか抜けたシックなフランスが整然さを好むドイツ人の街で溶け合っている感じである。
上の写真はリヒテンターラー公園の中に置かれたアウグスタ皇后の胸像。フリートリッヒ一世のお后,アウグスタ皇后は,40年間にわたり,時には一人で毎年1〜2回バーデン・バーデンに長期滞在した。
紀元前 ローマ人からガリア人と呼ばれていたケルト人は,ドナウ河一帯,および現在のバーデン・バーデンを流れるオース川沿いにも居住していたとされる。 ガリア人はユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)により征服された後,ライン河の左岸(現在のフランス・アルザス地方)に追いやられ,右岸(現在の黒い森地方)はゲルマン人の土地となった。
紀元70〜80年ごろ ローマ人はオース川沿いに「アクア」と呼ばれる町を建設し,現在のバーデン・バーデンにも,痛風に苦しむ兵のために,2つの浴場を造った。「アクア」とは,「水」と共に「温泉」の意味も持っていた。 このローマ浴場の廃墟の一部が200年ほど前に発見された後、修復、今日まで保存されている
3世紀 アレマン人が,ローマ浴場を含む村のほとんどを破壊。
13〜17世紀 バーデン辺境伯により,町の発展が始まり,温泉文化も培われてゆく。 ノイエスシュロス(新城)は辺境伯の居城。ホーエンバーデン城(古城)もこの時代に建設された。 16世紀には12の温泉施設が整い,痛風やリューマチなどの療養者が年間に3千人ほど滞在する温泉町として栄え,政治的にもバーデン地方で最も重要な町として発展を続けた。
宗教改革戦争 (1618〜1648) ドイツ史で最も長い戦争により,バーデン・バーデンも大きな影響を受ける。